昼の一息

 手元の暗さに気づき、ゼルガディスは顔を上げた。
 天井近くに投げておいた「明かり(ライティング)」はごく弱々しい輝きを見せており、その終わりの近さを示している。
 最後にこれを唱えて投げたのは昼食に出るすぐ前のことだったから、そこからそれなりの時間が経ったという印でもあった。 夕飯にはまだまだ遠いが昼は半ばを過ぎた、という所だろうか。いずれにせよ次の光源が必要である。

 一連の呪文を呟き本日数度目の明かりを呼び出すと、ゼルガディスはそれを再び天井に放り、はっきり見えるようになった膝の上のものを軽く引いてみた。
 それなりに集中していた甲斐あってか、ゆがみも汚れもなく綺麗なものだ。このまま形を作り上げ、あとは繋ぎ合わせて仕上げをしてやればいい。 上手くいけば夕飯までに終わるかもしれないとそれを持ち直したとき、見計らったようにドアが軽く叩かれた。
「ゼル?」
 リナか。
「入れ、鍵は開いている」
「うん」
 取っ手が動くのを見ながら、ゼルガディスは手にしたものを押しやろうとして止めた。いまさら礼を気にするような間柄でもないし、中途半端な所で手から離すのはやる気が削がれる。
 マントは引っかけているが肩当ては着けていない、軽装のリナがドアを開けた。
「お邪魔……何それ?」
 見ての通りだが。
「これか?袖だが」
「いや、そうじゃなくて。なんでいきなりそんな本格的にお裁縫してんの……?」
 膝上の縫いかけの片袖、腰掛けるベッドに広げられたもう片袖や見頃、形を取った後の布屑や鋏、そして何より手の中から長くのびる針と糸。部屋のあちこちを占領するそれらをきょろきょろと見渡しながら、リナは不思議そうな声を上げた。
 その顔を見やり、ゼルガディスは手元に目を戻す。
「……お前は俺が悠長に仕立屋だの古着屋だのに行ける身だと思ってるのか」
 厚い布に針を突き入れる。
「そもそも、そういう店があるような大きい町は避けてるもんでな……なら身体に合った服が欲しけりゃ、自分でどうにかするしかない。無地の布なら割合どこでも手に入るしな」
 その布の厚みに針が負ける感触がしたので、指を曲げ、岩のように固まった部分でぐっと押してやると、針はあっさり布を突き通した。幸か不幸か、指貫は必要ない。欠片も嬉しくないが。
「く、苦労してんのね……」
「それなりにな……」
 認めたくはないがと多少落ち込んで返しつつ、ゼルガディスは針を引いてリナを見た。
「……で、何か用か。見ての通り手は塞がってるんだが」
「あー、うん。ちょっと糸を分けて貰えないかなーと思って来たんだけど」
「糸?」
「これ」
 そう言って、リナは片手のものを持ち上げた。裏打ちをした麻袋の片側がほつれ、口を開けている。両側から伸びる紐を縛って背負えるつくりらしいが、 このままでは用を為さないだろう。
「縫い直そうと思ったんだけど、手持ちの糸、切らしててね。ゼルなら持ってるかなーと思って来たんだけど」
「まあ有る。少し切っていくか?」
「や、後でいいわ」
 糸巻きに手を伸ばしたゼルガディスを尻目に、リナはすたすたと歩を進め、そのまま備え付けの椅子に腰掛けた。続けて続けて、と笑顔で手を振ってくる。
「……ちょっと待て何故そこで座る」
「お手並み拝見?」
「何のだ」
「ゼルの」
「だから何をだ」
「んー、随分本格的だし?あたしもそれなりに手は加える方だから色々参考になるかなーと」
 気にしなくていいからどんどんやっちゃって、お構いなく、と付け加えるリナを見て、ゼルガディスは状況を理解した。
「要するに暇なんだな」
「そういうこと」
 あっさりと頷くリナに、ゼルガディスは呆れた息を吐く。
「いくらでも暇潰しはあるだろうが。何なら旦那を手伝ってこい」
「やだ。力仕事はガウリイいれば十分。第一もうちょいしたら終わりでしょ」

 彼女の自称保護者は昼食後に宿の人間に頼まれて、薪の移し替えと雨避けの処置を手伝っている。手間賃として食事におまけをするからと聞き、傍らのリナに至極快く貸し出されたという訳だ。もっとも、本人も暇を持て余していたらしく、格別文句は言わなかった。関係者の利害が見事に一致した珍しい例である。

「なら他に何かやれ」
「だから繕い物でもしようかと思ったらこれだもの。で、中々興味深いものが見られそうだし?ここはひとつ見学といこうかと」
 すっかり腰を据える態勢に入ったリナに、ゼルガディスは心中で盛大に溜息を吐きつつ、とりあえずもう一針を刺し入れた。このままでは日が暮れる。
 いまのように袖の端を縫っている程度なら別に部屋に置くくらい構わないが、次にやるのは見頃と袖を繋ぐ、それなりに骨の折れる作業だ。流石に人の相手をしながらこなすのは面倒くさい。いまのうちに適度に暇を潰させて、部屋に帰すのが得策といえた。
「……そこまで暇なら下で茶でも貰ってこい。喉が渇いた」
「ほほう、このあたしをウェイトレスに使おうと?」
 高く付くわよ?と言ってくるリナの方を見て、ゼルガディスはその膝に置かれたものに気づき、ふと思いついて指さした。
「じゃあ、それをやってやるから持ってこい」
「これ?やってくれるの?」
「ついでだ。分かったら行け」
「ふふん、ちょっと安い気もするけど、いいでしょ。じゃ、それで」
 麻袋を傍らのテーブルの上に置き、リナは軽い足取りで出て行った。実際、それなりに喉も乾いていたから丁度いい。一息入れるには頃合いだ。
 リナが戻ってくる迄に手元の分をやってしまおうと、ゼルガディスはまた針を刺し入れた。



 暫ししてリナが再び現れた。丁度縫い上がった袖を置き、差し出されるものに手を伸ばす。
「はい」
「貰う」
 春先の雨に少し冷える部屋に、香茶の湯気が紛れていく。
 ありがたく受け取って口を付けると、身体の内へじわりと染み渡る。どこにでもある普通の香茶だ。殊更に香り立つ訳でもなく、驚くような深みもないがこれで十分だ、あたたかい。
 程なく飲み干して茶器を戻し、ゼルガディスは麻袋を手に取った。こちらはひたすらのんびり飲み下すことに決めたらしいリナがそれを眺めている。
 糸の切れた側を鋏でほどき、針に新しい糸を通す。無事な片側の縫い目を見、同じように縫えばいいかと当たりを付けて針を刺していく。
 つい、つい、とよどみなく動く手に、リナが感心した声をかけた。
「上手いもんね。仕立てでも食べてけるんじゃない」
「俺が作れるのは自分の着る分だけだ。第一、他人の服を縫う趣味はない」
「あたしのはやってくれたのに?」
「……お前のこれは服じゃなくておたから袋だろうが」
「あ、分かった?」
「当たり前だ。まったく、物騒なものを……」
「分かっててやるって言ったんでしょうが」
 なら文句言いっこなし、とリナが笑みを返し、また一口香茶を含む。
「まあ、程々にしとくんだな……出来たぞ」
 端を固く結んで留め、返してやると、リナは縫い目を調べ、一度強く引っ張って満足そうに頷いた。お気に召したらしい。
「ありがと」
「茶の分は働いたぞ」
「ん。またお願いするかも」
「そう何度も破れるほどおたから袋を使い込まんでもいいだろうに」
「……ゼル、なんかガウリイが伝染ってきてる」
「伝染るか!」

 そのときひとつの足音が廊下に入ってきた。リナが心持ちそそくさと、麻袋を畳んでマントの隠しに仕舞いこむ。
 段々と慣れてきて、ゼルガディスにも音を聞けば分かる。噂の自称保護者のものだ。
 足音は隣の部屋の前まで辿り着き、鍵を開け中へと進んでいった。
「明かりが要るだろう。行ってやれ」
「そうね」
 暗い日に長く部屋に籠もるときは、獣脂のランプよりも明るく小綺麗な呪文の明かりを誰だって有り難がる。こうしたとき、呪文の使えないガウリイには、誰かが部屋に明かりを入れてやるのが通例になっていた。ゼルガディスが同室のときはそれで済むが、そうでなければ向かうのは基本的にリナだ。
 飲み干した茶器を盆に集めてリナが立ち上がる。
「じゃあね。また晩ご飯のときにでも」
「ああ」
 それを待たず、足音がこの部屋の前へやってきて軽くドアを叩いた。
「リナ」
 何故分かる。
「はいはい。おかえり」
 ドアを開けたリナにただいま、と応える声がする。

 僅かに髪を濡らしたガウリイがこちらを覗き込み、軽く挨拶を送ってきた。



おひるの一服。