夜の一匙

 割合懐は豊かでも、使い途がないときもある。

 少し前にセイルーンの一件を終えて発った際、リナとガウリイはかなり重みのある報酬を受け取っている。旅にかかる費用はいつの間にかリナが纏めて支払うようになっていたため、その分として報酬の大半はリナに渡るが、二人で受けた仕事であればガウリイの取り分というものが存在する。セイルーンの件でもその取り決めは適用されたため、ガウリイの懐には報酬の一部が入った。それは総額から見れば一部かもしれないが、金額だけを見ればそれなりのものだ。暫く懐が寂しくなることはないだろう。

 しかし、そもそも食事と宿代を除けば、ガウリイの買う物は日用品や替えの服が主となる。武具の買い換えでも起こらない限り、 纏まった出費というものはないから、劇的に減るということはあまりない。

 だから後は酒を飲む程度がガウリイの使い途となる。ただ、北へ続く裏街道沿いの村というものは大して豊かに物を取り揃えている訳ではなく、酒も例外ではないから物珍しさに色々手を出すということもない。それに、北へ向かうにつれ、身体を温める目的なのか、味よりも強さを優先したものが増えてきている。この村もそうだ。

 リナには良くないな、と思いながら瓶から酒を注ぎ足したとき、階段を下りてくる足音がしてガウリイはそちらを見た。
「ガウリイ」
「おう」
 現れたリナに手を挙げると、リナはとことこと近寄ってきて、ガウリイの隣に腰掛ける。
「どうした?珍しいな」
「まあね、寝る前にあったまるようにちょっと何かって」
「何かってなー……」
 心配していたことを言い出すリナに、ガウリイは困った顔をした。
「お前さん向きのものはないぞ。蒸留酒ばっかりだ」
「え?……うわ、ほんとに無いわ。せめて果実酒くらい置いてりゃいいのに。うーん……こうなったらいっそもう蒸留酒でもいいからお湯で割って……」
 手袋を嵌めた指がメニューを辿る。
「やめとけ、強いぞ」
「何よ、お湯で割ればいけるでしょ。一杯くらいいいじゃない」
「それでも一杯で酔うと思うぞ。やめとけって」
「あのね、お酒の一杯や二杯であんたに説教される謂われはないと思うんだけど」
「そうじゃなくてだな」
 不服の表情を向けるリナに、ガウリイは言った。
「お前さん、酔うと呂律が怪しくなるだろ――危ないからやめとけ」
「――あ」
 言わんとすることに思い当たったのか、リナは短く声を上げた。

 リナは先日、呪文を封じられるという目に逢っている。ガウリイが合流したときにはすっかり元通りになっていた上に、怪しい呪符まで手に入れて更に強烈な呪文を操るようになっていたという予想だにしない姿を見せたものの、まともに呪文が使えない場合の非力さが改めて浮き彫りになった一件となった。だからガウリイとしても、呪文の使える状況を保つことにはこれまで以上に敏感となっている。呂律が回らず言葉が正しく紡げないという状態を作ることは、いまの旅には純粋に危険だ。

 一瞬で表情を一巡りさせたリナは、渋々という感じで口を開く。
「……まあ、もともと蒸留酒が大好きって訳でもないし」
「だな。あったまりたいならこの辺だろ。ホットミルクか、香茶か、どっちがいい?」
「……香茶で」
 せめてという感じで、リナはまだしも色の近い方を選び、ガウリイは注文の声を上げた。



「明日は出られるといいんだけど」
 運ばれてきた香茶に息を吹きかけながらリナが呟く。
「そういや、今日は珍しく大人しくしてたみたいだな」
 綺麗に梳られ、乱れのないままの髪をえらいえらい、と撫でると、リナは大袈裟に声を上げてその手を下ろそうと試みた。
「もー!せっかく整えたとこなのに!」
 そう言いながらも、取り除けようとする力は特に強くない。適当な所で手を下ろしてやると、ぶつぶつと呟きながらリナは手櫛で髪を梳き直した。弱くなった雨音に混じり、するすると髪を滑る音が耳に届く。
 よく見れば、手袋と袖の間に覗く腕に、僅かながら鳥肌が立っている。気分が寒いというのではなく、実際に冷えているのだろう。身体のためにはむしろ少し飲んだ方がいいかもしれない。ガウリイはそう思い直した。

「……少しだけ、飲むか?」
 瓶を摘みながら言ってみると、リナは微かにきょとんとした後、唇を尖らせた。
「何よ。さっきは飲むなって言った癖に」
「飲むなじゃなくて、酔うなって言ったんだよ。べろべろにならなきゃいい」
 そう言って、ガウリイは卓の上に目をやった。自分が口直しに置いていた白湯はすっかり冷めている。役に立たなくなったそれから視線を外し、ガウリイはリナの香茶に目を止めた。貸してくれと呟いて引き寄せ、添えられたスプーンを持ち上げる。
 ほんの一匙だ、これならリナも酔うまい。
「ちょ、あたしの……!」
「すまんすまん。不味かったらオレが飲むから」
「……不味くなくてもあんたの奢りね?」
「……それでもいい」
「ならオッケー」
 同意は得られたので、瓶を傾け、スプーンへ蒸留酒をとろりと落とす。
 それをまた香茶へ傾けると、琥珀色の液体はすぐに溶け、見えなくなった。
「ほら」
「ん」
 受け取ったリナがスプーンをぐるりと回して置き、湯気を嗅ぐ。すぐさま卓に置かれなかったのを見れば、ひどい匂いはしなかったようだ。
 軽く安堵しつつ、ガウリイはその様子を見る。
 リナが唇を付け、一口啜る。僅かな間を置いて、引き続き、今度はこく、と喉が鳴った。悪くはないらしい。
「……うまいか?」
「うーん。美味しいっていうか、濃い?あといい匂い」
「そっか。やな味でないなら良かった」
「うん」
 口ではそう言いながらも表情を緩めるリナを見ていると、それはやけに良いものに思えた。
「……なあ、一口くれないか」
「だめ」
「くれよ」
「不味くないからだめ」
 酒が入ったせいか気に入ってくれたせいなのか、ご機嫌になったリナがくすくす笑う。
 何となく諦めがたくてそのままじっと見ていると、リナは逡巡したのち、やがてそれを差し出した。
「……あんたの奢りだもんね」
「そういう訳じゃないが……ありがとな」
「一口だけよ」
 念を押すリナから受け取って、ガウリイは慎重に口を付ける。
 薄い香茶の香りと濃い酒の味が混じるそれは、少しだけ甘いような気がした。

 見守るリナに約束通り一口で返し、ガウリイは聞いてみた。
「あったまったか?」
「うん。いい感じに寝られそう」
 そうか、と再び髪を撫でてやると、リナもまた手を伸ばしてくる。
 その腕から鳥肌が消えているのを見て、ガウリイの心は落ち着いた。

 階段を下りてきたアメリアがそれを見て、ひらりと二人に手を振った。



おやすみ前の一口。