共涼夏

「あっついわねえ……」
「お前さん、その格好でそれを言うか……」
 
 リナの呟きを聞きとがめたガウリイが呟きを漏らす。
 現在の彼女の格好は、全身を覆う黒いマントを前でかき合わせ、閉じた姿。 傍から見ればどう見ても黒いてるてる坊主そのもので、暑苦しいことこの上ない。

「あのねえ、何度も言ったでしょーが……あたしのこれは中で冷気呪文かけてるの。そうでなきゃ誰がこんな格好、好きでやるもんですか。 てか、絶対にごめんだわ。そうでなくても結局マントに収まらない顔だの手だのは暑いし日差しでお肌はボロボロになるし……」
「だから、結局暑いなら呪文かけたってムダだろー……もう諦めてマント開けて風通せばいいじゃないか」
「それやると一発で全身熱中症になるから却下」
「そう言うけど、見てるだけで暑苦しいぞ、その格好。本当に涼しいのか?」
「やらないよりは物凄くマシ」
「そういうもんか?」
「そういうもんよ」

 きっぱりと断言して、リナは溜息を吐く。

「あんたはいいわね。暑くても寒くても全然へーきそうな顔してるし」
「オレだって暑いものは暑いぞ?」

 そう言って額の汗を拭い、腰の辺りに擦り付ける。実際、その手には玉のような汗がいくつも付着していた。

「何だってこんな暑くなるんだろうなー……」
「そんなのあたしの知ったこっちゃないわ……」

 どちらの声にも覇気がない。
 実際、今日は暑かった。このところ気温が高くなってきたとは感じていたが、そんなものは序の口に過ぎなかったことを 思い知らされる。きっと、今日がこれから本当に暑くなる、夏の始まりの日なのだろう。

「あーもう早いとこ町に入ってお風呂入りたいわ。でもって、湯上りに冷たいジュース!」
「今すぐとは言わんが、風呂は入りたいよなあ。せめて水場でもあったら顔洗うくらい……ん?」
「どしたの?」

 口を噤んだガウリイに問いかけるが、彼はしぃ、と止めて耳を澄ました。やがて嬉しげに向き直る。
 
「あっちから水音が聞こえる。多分、川があるぞ」
「ほんとっ?」

 リナが顔を輝かせた。



 川は程なく見つかった。

 歓声を上げて、リナが即座にマントの合わせをとく。実際、この格好は好きではないのだ。呪文が効いていれば中は確かに涼しいが、 すぐに効き目は切れるしこういう日には蒸し焼きにされているような錯覚に陥る。何より黒い布に覆われるなんて、気分的に暑すぎる。
 そのままの勢いで呪符の紐を緩めて手袋を抜き取り、手を浸して水の冷たさを味わった。流れが肌の表面をくすぐっていく感触が気持ち良い。
 その横でガウリイが顔を洗っている。こちらは構わず手袋を着けたままだが、薄手だから問題ない。濡れていてもこの気温ならばじき乾くだろう。
 水の透明度を確認して、どちらからともなく手のひらで水をすくい、喉を潤す。飲み込む勢いのまま喉を滑ってゆく冷たさが、何とも言えず心地良かった。

「あー、生き返るー!」
「そうだなぁ」

 夢中で飲み干して歓声を上げ、手近な木の根元に座り込む。何のかんのと言ったところで、体力は間違いなく削られていた。 朝から暑い中を歩き続け、携帯食とぬるい水で味気ない昼食を取ってから暫く経つ。体力的にも時間的にも丁度いい、このまま小休憩だ。
 ほんの少し、座ったまま横に位置をずらして木陰の部分を空けてやる。面倒な説明をしなくとも、これで休憩の意は伝わるだろうと 相棒の方を向いてみたのだが、ガウリイは何故か上流の方に目をやったまま、何かを見ているようだった。

「座んないの?」
「いや。ちょっと向こう行ってくるぞ」
「?……行ってらっしゃーい」

 多少不思議に思ったが、あっさりとそういう返事を返す。何か見つけたかそれとも何か気になるのかもしれないが、 ガウリイの声に警戒の響きは全くない。ならば暫く気を抜いて、このままで居ても大丈夫ということだ。それが分かって いるのに詮索しようという気にはならない。何しろ今はもう休憩する気で一杯なのだから、そちらは任せた。

 足を投げ出して、その先にある川の流れを見、せせらぎを聞く。見たところ子供の腰ほどもない浅い川だ。小柄なリナでも 簡単に足がつくだろう。いっそこの頑丈なブーツも脱いで足を浸してみたいという誘惑にかられたが、それをやると二度と履く気が起きなくなる と分かっている。だからそれは涙を呑んで諦めることにした。

 張り出した枝の作る影が日差しを遮るものの、葉の隙間から日差しが零れ落ちてくるのが閉じた瞼を通して眩しい。 暫くそれを感じていたら、重い足音がこちらへ近付いてきていた。目を開ければその先にはガウリイの姿。 早かったなと思いつつ、おかえり、という声と共に手を振ってやる。ただいま、という声と共にガウリイも片手をあげてきた。

 その逆の手が抱えるものを見て、リナは声を上げた。

「何、食べられるの?」
「食いつきがいいなあ」

 苦笑しながらガウリイがそれを、ほら、と差し出してくる。

「むこうに生ってたんだが、この色だと食べられるんじゃないか?」
「ガウリイえらいっ」

 嬉しげに声を上げ、リナは果実を受け取った。丸く、どこか黄色のかかった橙色の果実。皮は厚くて硬く、けれど指先で押してみると その先にやわらかな弾力が伝わる。その感触を確かめながら、リナはこの実の名前に思い当たっていた。

「オレンジっぽいけど、何だろうな」

 リナの手の中で転がる実を見つつ、ガウリイは不思議そうに小首を傾げた。20歳も半ばと思われる体格の良い男に 小首を傾げるのが似合うってのはどうにも不思議だと思いつつ、リナはその疑問を押しやり正解を口にした。

「当たり。これウィアードオレンジよ」
「ウィ……?」
「普段あんまり食べない種類だから知らないかもね。採れる地域も限られてるっていうし。へえ、こんな所に生ってたとはねえ」
「ふうん。あそこに生ってたんだが」
「……どこ?」
「あっちだって、あの木の陰に生えてる背の低い木。黄色っぽいの見えるだろ」
「全然見えないってば、ほんとよく見えるわねえ……」
「いやあ。で、つまりは食えるんだな?」
「勿論!オレンジにレモンをちょっと混ぜたような感じかな。ね、もしかしてまだ生ってるの?」
「おう、まだいくつかあったぞ」
「じゃあ同じ位大きいの全部取ってきて!あ、小さいのは駄目よ、酸っぱいから」
「へいへい」

 適当な返事を残してガウリイが木の向こうに歩いていく。それを見送って、リナは果実を手に木陰から歩み出た。途端、全身に 熱気が纏わりつく。
 その熱気に顔を顰めつつ、手の中の果実を水に潜らせ、引き上げる。水を潜った手と果実はひんやりとして、その冷たさにほっと息を吐いた。
 
 そのまま指先で皮を剥こうとして、ふと思いつくことがあった。皮にかけた指を外して、ショルダー・ガードの裏から 薄刃のナイフを取り出す。適当な石の上に果実を置いて実を半分に割り、流れに落ちないようにそっと位置を調節する。そのまま、 今日一日ですっかり馴染んだ響きを唇に乗せた。
 いくばくかの果実を抱えて戻ってきたガウリイが、その光景に不思議そうに首を傾げる。そちらに手振りで待ってと示し、リナは 最後の言葉を呟いた。

砕氷塵(グレイ・バスター)

 声に応えて、細かなきらめきが表れる。それは果実の周りで少しの間留まり続け、やがて夏の陽気に溶け消えていった。
 その果実にリナは指を伸ばし、断面を軽く叩いてみる。こん、と硬質の音がして、触れた表面が薄く溶けていくような感触がした。大成功だ。

「何やったんだ?今の」
「んっふっふ、こーゆーこと!」
「んぉっ?」

 大げさな声とは裏腹に、ガウリイは放り投げたものを片手で難なく捕まえ、そして驚いたように目を見開いた。

「冷たっ!氷かよこれ!?」
「そ。冷気呪文で凍らせたの。冷たくって美味しいわよー」

 そう説明するや、残り半分を岩から取り上げ、凍りついた皮に指をかけ実を剥がしていく。薄皮で分かれた一房を摘み上げ、 そのまま口に含むと、硬い、けれどすぐに柔らかくなっていく独特の感触がした。生の実を置いたガウリイが同じことをしているのを見つつ、 口内の実を歯と舌を使って押し潰す。
 シャリ、という音と共に、果実独特の甘みと、同じだけの酸味が瑞々しく溢れ出す。冷たく爽やかで、甘い。贅沢な夏の味だ。

「んー、冷た!美味しいっ!」
「おおっ、確かにこれは美味い!」
「そっちのも貸して。あ、半分に割ってからね!もう全部凍らせましょ」
「おう!」 

 程なく、果実は氷菓に姿を変えた。

 再び木陰に腰を下ろし、一房ずつ摘んでは口に放り込む。いくつも口に含むうち、口内に寒さを感じては手を休め、しかし 狙う分は目を光らせて確保する。そうこうするうちに、氷菓の冷たさと木陰の涼しさが身の内も外も落ち着かせてくれた気がした。
 また、実を剥きながらガウリイが呟く。

「便利なことができるもんだなあ」
「んふふ。マントの下でかけたら涼しいし、オレンジにかけたら美味しい。呪文と頭は使いようってね」
「マント?」
「あたしがさっきマントの下でかけてた呪文もこれよ。威力と範囲をぐっと抑えて、オレンジの周りにだけほどよく効くようにしたの。 本来はこれも攻撃呪文なんだけどね」
「ぶっ放すだけが芸じゃなかったんだなあ……」
「ガウリイ?本来の威力も見てみたい?」
「すみませんでした」

 笑顔に存分籠めたものをしっかり感じ取ったのか、ガウリイは即座に謝った。

「でも、本当に色んなことを思いつくもんだよなあ、感心するよ。果物凍らせるなんて初めて見た」
「まあ、最初にやったのはあたしじゃなくて別の魔道士なんだけどね……」
「へえ、誰だ?」
「……聞いてもあんたには分かんないでしょうが」
「まあな」
「そこまであっさり納得されるのもちょっと哀しいもんがあるわ……」

 自分で言い出したことながら説明を避けたかったので助かるといえば助かるが、多少は哀しいものを覚えた。けれど、こうした会話にも すでに慣れた。だから言うだけ無駄だと分かっている流れはさっさと打ち切っていく。

「ま、とにかく。そんなに珍しいものでもないわよ、この位……てか、見たことないの?」
「いや、初めてだぞ」
「――あ、そうね」

 そういえば、とリナは思う。
 思えば彼と出合ったのは昨年の秋のことで、今は夏。出会ってまだ一年に満たないのだ。共に夏を過ごすのはこれが初めてだから、 自分がこれを見せたことは当然ない。そして、身近に魔道士が居なければ、そもそも食べ物を凍らせるような技自体を見たことがなくて 当然だ。

 そのことに気付かないほど、いつの間にか馴染んでしまっていた。

 そもそもの出会いからしてトラブルの中。それが終わって暫くしてからまた別のトラブルに巻き込まれ――そして、つい暫く前、最大にして 最悪のトラブルに見舞われた。
 出合った秋も、冬も、そして春も。それらを乗り切っていく間に気付けば過ぎ去っていた。この夏が過ぎるとき、ようやく初めて 二度目を過ごす季節がやってくる。

「どうした?」
「んー……やっぱり、暑いなって。早く町に着きたいわよねー」

 声が止まったことに対してか、訝しげな声が降って来るのに適当な答えを返す。
 それを聞きながらリナは内心首を傾げる。
 あっという間に過ぎてしまったから気にしてなかったけれど、もうすぐ一年――もう、一年にもなろうとしている。 離れていたこともあったけれど、この一年ずっと一緒に来た。その間得られた仲間たちはそれぞれの場所へ帰っていったが、 ガウリイは今も共にいる。彼と過ごす時間は、出会ったときには考えもしなかった長いものになり始めている。
 剣を探すという、何時まで続くかも分からない旅のために。

 それでいいんだろうか。

 彼は何も語ろうとしないから分からないが、本心はどうなのだろう。
 自分たちが探すような剣とは早々に手に入るものではない。それこそ、何年かかるかも分からないものだ。そのことに 焦りはないのか、そんな雲をつかむような話でいいのか――何より、本当に理由はそれだけなのか。ガウリイはそれを語った ことはないし、自分もそれを聞かないままにしてしまっている。

 ――まだ、何も知らない。何も聞けていない。けれど本当にそれでいいんだろうか。
 彼にしても、自分にしても。

「――まだ、いいだろ」
「――え?」
「のんびり行こうぜ」

 リナは目を瞬いて声の主を見上げた。
 時折彼はこういうこちらの心を読んだかのような言葉をかけてくることがある。
 その度に少し驚くけど、それはきっとタイミングが良いだけで、言葉自体に深い意味はない。ないったらない、その筈だ。
 なのにそれがあまりにもこちらの思考と重なるから、時に深く考えそうになってしまう。

「どうした?」
「――なんでもない」

 ガウリイが不思議そうに問いかけてくるのに、首を振って答えを返す。
 考えるのはまたでいい。今は休む時で、すぐに答えの出ないようなことを考える時じゃないから、その疑問には触れないことにする。
 ――今は、まだ。

「ほら、もっと食えよ。美味いよなあこれ」
「……って、何であんたがそれを言う。作ったのはあたしでしょーがっ!」
「見つけたのはオレだからなー」

 何となく悔しくて、ガウリイの手にした実の中から一房を奪い取る。
 抗議の声を上げるのを無視してそれを口に含む。薄皮をやたらと丁寧に剥がした房は遮るものなく果汁を滴らせ、 口内に冷たさが広がる感触に自然と頬が緩んだ。

 傍らのガウリイが負けじと別の房を口に放り込み、やはり表情を緩ませる。

 立ちのぼる冷えた柑橘の香りと、傍らを流れる冷たい水の匂い。
 涼やかなそれらは混じり、溶け合い、やわらかく辺りに満ちていた。


<キョウリョウカ>
涼を共にとる夏。