祈年冬
小振りな南瓜の種をとって挽肉を詰め、荒く潰したトマトと根菜のシチューでじっくりと煮込む。ほのかに香草の香るこれがスープであり主菜。その横には温野菜の鉢を。白と薄黄と緑と赤、これが場の彩りを整えてくれる。
湯気を立てるローストビーフ、白身の魚と玉葱を香油で絡めたものに、色豆と野菜の煮込みを中央に据えて。片隅にはいつもの
焼きたてのパンはそのままでも十分だけど、蜂蜜や果物の
それらの側には赤のワインと、食後のお茶が待っている。
あたたかく滋養のある皿を並べ、それを囲もう。
新年を祝う席を。
明日の夜の品書きを頭の中で確認しながらシルフィールは帰路を辿っていた。横合いから何度となく夕暮れ前の冷たい風が吹き、深い 紫紺のマントを掻き合わせる。
今日は暦の最後の日だ。今日の夜が更ければ今の暦は役目を終え、新しいものがそれを引き継ぐ。 淡々と続くはずの暦の中、珍しく明確に時間を区切られた日、大晦日。
既に人々はいつもより早く仕事を終えはじめ、今年最後の時間を穏やかに過ごすため、各々の家に籠もりつつある。家を出た昼過ぎと 比べ、街の人並みが少なくなってきたようにシルフィールは感じていた。きっと今頃、働く者は家路を辿り、家にいる者は 新年を迎える準備にかかり切りになっているのだろう。
彼女もその一人である。今日は朝からいつもの通り魔法医のおじの助手として雑務を片付ける傍ら、おばを手伝って年越しに備えて家を整え、 新年を祝う食卓の下準備を始めていた。今ここを歩いているのも、年明けの数日に備え残り少なくなった薬品類を補充するためと、料理に 添える香草の買い足しを兼ねた買い物のためである。手に提げた籠の中には布の小袋に分けた薬草や薬の小瓶、そして少しの香草が収まっている。 シルフィールが歩を進める度、揺れる籠の中からは薄い緑の匂いと微かな葉擦れの音がした。
行く先の空を見やり、冬独特の白い空が灰色になりつつある気配を見て、急がなければと思う。決まった先を回るだけなのに、今日という 日のせいか、予定よりも時間がかかってしまったようだった。
従兄弟の構える店では常備の薬剤を分けてもらい、従兄弟とその妻に今年最後の挨拶と、明日の夜に祝いの席をおじの家で囲むことを 改めて約束して別れた。回った先々では同じように、今年の感謝と来年へ向けた挨拶を述べて回る。いずれの先でも、既にシルフィールの顔を覚えた人々はこちらから口を開く前に、盛んに声をかけてくれた。
最後に立ち寄った商店主は、互いに挨拶を述べて立ち去る間際、こう言って目を細めてくれた。
――すっかり馴染んだねえ。
確かにそうだ、と思う。
ここへ来てから決して短くはない日が流れた――ただしその間に一度サイラーグへと往復し、ここを離れていたため、本当の意味でこの街に住み始めたと いえる日はそう長くはない。けれどいつの間にかセイルーンの街に馴染んでいる自分が居た。
それはこの街の特性によるものかもしれない。
神殿や寺院の多さから聖王都、白魔術都市と呼ばれるセイルーン・シティ――六紡星に囲まれ、均衡を保ち魔を抑える力をもつこの街は、 確かにそう呼ぶに相応しい。
けれどそれはこの街の顔の一つでしかない。
この半島において、高度な学識を修めた者と、それらの者が記した書物が集まる街はそう多くはない。そしてその筆頭といえるのがこの セイルーン・シティであり、人はそうした貴重な資源を求めてこの街を目指す。中でも神官や魔法医を志す者にとってはこの街で修行を積む ことは一種の憧れとなっているし、また、各地の貴族や裕福な商人たちが子女をこの街に遊学させるため送ることもある。
そうした知識を求める者、巡礼や修行のため訪れる者、あるいは旅の途中で六紡星の都を見に訪れる者や、そこで生まれ集まる品々を 求めて訪れる者――行き交う旅人たちがこの街には常に一定数存在している。
様々な者がこの街に足を運び、あるいはそのまま根を下ろし、あるいは成長して各地に帰る――セイルーン・シティの恩恵を受けた覚えのある ものがたくさん生まれ、また、それらの者が著した書物を集めた王立図書館はますますこの街への憧れと関心を高めてゆく。
この街は白魔術都市にして、学徒と旅人を受け入れる街でもある。様々な目的を持って行き交う人々が作り上げる街であり、出会いと別れが 常に同居する街だ。
だから、この街は旅人や一定期間のみ滞在する人間を快く受け入れることに慣れている。自分の場合は最初からこの街に住む親戚の 元へ加わったことから確かに溶け込み易かったのだけれど、それ以上に、この街のそうした風土が強く働いているのも確かだ。 きっと、他の街や村ではこれほど容易く馴染むことはできなかっただろう。
そしてここは自分が身を置くためにあるような場所かもしれないと思う。
親戚がいて、馴染んだ人々がいて。端から見れば最早このままここに住み続けることが自然に見えるだろう。けれど望む神官の資格が 取れたとき、他の者たちと同じように自分はここを去り、サイラーグを復興させるためあの地へ戻る。おじやおばは、そんな苦労をせずに いつまでもここに居ればいいと言ってくれるけれど、もう決めている。だから、いくら馴染もうとここは自分の街ではなく、修行の場だ。 目的のために修行し去ることを決めている自分には、人を受け入れ送り出すこの街は、きっと他の何処よりもその助けになってくれる。
この街はサイラーグへ帰るまでの仮宿だ。けれど、その中でも自分のできる限りのことをしたいと、そう思っている。だから今は早く 帰り着いて今日の自分の仕事を続けたい。そう思って足を少し速めた。
こうして日々を過ごしていると、おじやおばは色々と手伝いを頼み忙しくして悪いと言ってくれるが、そう思ったことはない。なぜなら、サイラーグにいた時には巫女頭として 巫女をまとめ、雑事をこなす日々を送っていた。特にこの時期は新年の祭事の準備の中にいて、忙しく立ち働いていた覚えがある。 それに比べれば今は人をまとめることもなく、忙しさなど比べものにならなかった。
――だから、かもしれない。
こんなにも年の終わりに寂寥感を覚えるのは、忙しさから解放されてしまったからかもしれない。
以前は年の終わりと初めを神殿の祭事の中で迎え、そして一通りのことを終えた後、父と二人でささやかに祝いをしたものだ。 その時まで忙しいと感じる暇もないほどだったし、それが当たり前だった。けれど今年は違う。初めておじの家で、家族だけの小さな席を囲む。 それはサイラーグでのそれに比べれば自分の肩にかかるものはずっと少なく、余裕すら感じている。だから、これまでとの違いをゆっくりと考える ことができてしまい、そのことに寂寥感を覚えてしまうのだろう。
――何もかも、あの頃とは違う。
僅かに胸苦しくなるそれを思いながらシルフィールは道を辿り、曲がり角の前に来た。
ここを曲がれば家々や商店、簡易な露店、様々なものが混じり合う大通りだ。そこを真っ直ぐ行けば、おじの家に帰り着く。 そしてその角にあるのは、小さな教会だ。
その前を通り過ぎるとき、中の様子が見えた。
寒いけれども、扉は訪れる人を迎え入れるように開かれており、そこに人が集まっているのが見える。
きっと、年を越す前の最後の祈りだ。おそらくは年を越す前に挨拶がてら訪れた人々が集まり、自然と始まったものだろう。
祈りは最後に差し掛かっていた。神官がいて、集う人に向けて祝福の言葉と共に手を差し伸べている。恵みを祝福の形で分け与える、 資格をもつ神官でなければ許されない、簡易なものとはいえ正式な形式に則った祈りだ。
それは、かってサイラーグで父が正式な祭事の場で行っていたものと同じものであり――今のシルフィールはこれを行う資格を持たない。
それを思うと微かな痛みを覚えた。
今の自分は巫女頭でもなければ神官でもない、ただの巫女だ――サイラーグでのように頭として巫女たちの先に立つことも、あるいは 神官として祝福を授ける資格もない――そのための修行は、春から正式に始められるようにようやくこぎつけた。だから、これを行える ようになるのはまだまだ先のことだ。
――けれど。
祈ることはできる。それは、何処に居ようと、どのような時であろうと変わらない。
誰かに聞かせるためのものではない。そして、言ってしまえば
歩みを止めぬまま、そう思う。
そして、シルフィールは胸の内で呟いた。
この身を置くセイルーンの街に、いつか帰るサイラーグの平野に、一時のやわらぎが有りますように。
そして願わくば、この世界の何処かを歩む、彼と彼女らへも――どうか。
「――恵み溢れよ。新しい年」
祈りは白い息に姿を変え、